先日、駆け足で久しぶりに東京を訪れた。
ハイライトの一つは建築家の友人である水谷俊博氏(以下、まいける)と30余年ぶりに再会したこと。まいけるとは、共に京大の学部生だった頃に欧州の建築旅行で初めて会った。現在は、武蔵野大学教授として建築教育とご自身の建築設計事務所での設計活動で大いに活躍される一方、家庭では父親となられ、そして現在もバンドで音楽活動を続けておられる。その変わらぬ人柄とエネルギーに、元気をいただいた。氏に感謝したい。
まいけるとの再会で、あの時の欧州の建築旅行中に、初めて時間や文化を超える建築の魅力に圧倒された体験を思い出した。ガウディの作品、カラカラ浴場、パンテオン、聖ピエトロ大聖堂、など。振り返ってみると、この体験で、建築への志を固めたように思う。
もう一つハイライトを挙げるなら、「Next Arcthiecture of Japan」という題のパネル・ディスカッションを傍聴したこと。東京大学とUCLA (私の母校) の共催で、パネルにはUCLAで教鞭を執る建築家1人と東京を拠点とする40歳代の日本人建築家3人が参加。
ディスカッションの中で、日本人建築家たちから、概ね自分たちの仕事に、日本らしさは意識しない、日本の民族や文化のラベルを貼られたくない、という趣旨の声が出た。
聞いていて、これは彼らの活動の拠点が東京であることと無関係ではなさそうだと思った。東京は、成熟した伝統的文化都市というより、戦後の焼け野原から再建され、その後も大規模な再開発で立派に生まれ変わり続ける、巨大で常に現代的な国際都市。パネリストの一人である御手洗氏の「金融危機後の不況時になって、初めて伊勢神宮など日本の伝統建築の美しさに目が開かれた」という発言が興味深かった。
パネリストの各氏にとって日本の伝統はどのような意味を持つのか、そして世界に何をもたらしうると思うか、などを聞いてみたいところだったが、議論がようやく面白くなり始めたところで、やや唐突に時間切れで打ち切りとなった。
伝統は、世代や文化を越えて多くの人の心を打つもの。そんな超越性が、文化の本物らしさをそっと照らしてくれているのではないか。
「人間が建物を創り、そして建物が人間を創る。」これは拙訳だが、元英国首相 Churchill の言葉だ。よく言い当てていると思う。建築 (architecture) は、生身の人間が体験する具象の文化であると同時に、その中で育ち暮らす人間の文化形成に大きな影響を与える。
仮に、伝統への関心が希薄で無国籍な構えが、これからの日本人建築家のあいだで当たり前になってしまうと、どうなるだろうか。それでも時間や文化を超えて世界に響き続けるような建築が持続的につくれるのだろうか。などと、やや取り止めもない考えに耽りつつ、京都に戻った。
近い将来、このディスカッションが再開し、何かしら実を結ぶものとなるよう、願いたい。