top of page

建築 (Architecture) について思うこと

大自然の美しさは人の心を広げ、安らかにすることがあります。私の場合、そんな経験で最も印象に残っているのは米国ニューメキシコ州の砂漠を訪れた時でした。見渡す限り、空と地平に広がる荒野だけで、空は信じられないほど高く、宇宙空間にそのまま続いているように見えました。透き通るような圧倒的な静けさの中で、自分自身が宇宙の一部であるように感じられ、深く心が落ち着くと同時に元気づけられたのを憶えています。


建物 (Buildings) は空の下に建てられます。まずは人を護るものですので、屋根があります。柱や壁もあるでしょうし、そうなると、ある意味で宇宙の小さな一部を囲い取るものだと言えます。


全くの私論に過ぎませんが、宇宙が本来持っている力を、その美しさを照らし出すことによって、建物の中でも人々が享受できるようにすること。それが建築(Architecture)ではなかろうかと考えています。そして良好な建築が創られた時、そこでは人の心は開かれ安らぎ、生命に生き生きとした潤いがもたらされる得る、と。


これまでに私はそのような建築作品を体験する機会に西洋と日本で恵まれました。西洋の作品例を挙げると、ローマのパンテオン、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂、米国のキンベル美術館などが思い浮かびます。


これらは、西洋の公的建築空間の時代を超えた特質を代表する建築だと思います。つまり、明確な幾何学によって形作られた高さのある空間と、その上方から私たちの目に降りてくる自然光によってもたらされる活力感があります。人体における視覚と認知の仕組み上、このような空間は人の脳を創造的な思考へ開き、望みの達成へ向かわせ鼓舞する性質があるようです。


その一方で、人の生命の潤いを言わば「最適化する」視点からすれば、日本の伝統的な建築空間は西洋のそれと補完し合う重要な性質を持ち合わせています。人の脳を落ち着かせ、内省的にする性質です。


この性質には、いくつかの要素が絡んでいると思います。まず、決して明るすぎない事。自然光は庭から縁側の床板で反射されたり障子紙を透過したりして水平方向から室内に入ります。次に、天井高が低く、上述のように縁側空間を伴っていること。さらに、人体に備わる知覚を刺激する、植物を使った自然材の仕上げが使われている事。例えば畳や無塗装のスギ床板。その香りと肌触りを想像してみてください。最後に、自然への深い畏敬と人間の自惚れへの戒めに根ざした美意識があります。この美意識ゆえ、例えば、不規則な形状の丸太や自然石が巧みに(手間がとてもかかるにも関わらず)建築意匠に取り込まれてきたと言えます。さらに言うなら、大地震の力にも耐える精巧な木組みによる日本の木造柱梁構造が発達した背景には、材料となる樹木などの植物や土壌の知識をも含む大工技術がありましたが、そんな包括的な大工技術もこの美意識に培われてきたように思えます。


日本の伝統的な建築空間では、これらの要素が一体となって作用し、日常の暮らしで私たちが何気なく経験する事象の仄かな美の発見を可能にしています。これには万人が享受できる自然現象の美も含まれ、常に変化し続ける世界にさらされて生きる私たちの心に安定した拠り所を確保し得るように思われます。


西洋と日本それぞれの、時代を超えた伝統的建築空間の特質の融合。 

ヤマダ・アーキテクチュア(YA)の仕事ではそんなことにも取り組んでいきたいと思います。


山田 真也 建築家、アメリカ建築家協会会員


ローマのパンテオン (撮影: 1992年)

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂のドーム

キンベル美術館の内観

京都の町家の内観

bottom of page